とり粂について

とり粂について

明治元年創業

1868

とり粂

「ウマい」に真面目に、150年。
常に最高の商品をお届けします。

ご先祖が、大阪・茨木の地に店を構えて以来150年、「ウマい」と自信を持っていえるものだけをお届けして参りました。時代は変わり、様々な食材に溢れ、多様な料理に囲まれた現代ですが、日々真面目に、「ウマい」ものをお出しすることに取り組んでいます。「とり粂の肉はウマいね。」そう言って頂けることが、私たちの誇りです。

とり粂

大阪と共に歩んできた
とり粂の道

1700年後半、初代 木下粂太郎が生まれてから数百年。
開国、明治維新、世界大戦、東京オリンピック、大阪万博など激動の時代と共に歩んで参りました。
初代から六代目まで続く歴史は今も続いています。

とり粂 とり粂

とり粂のはなし

Q

「明治元年に創業されたとのことですが、その当時の店舗の様子や、創業のきっかけについて教えていただけますか?」

A

明治元年が1868年、3代目木下武一が生まれたのが明治30年(1898年)。日清戦争(1894年~)日露戦争(1904年~)の2つの戦争の時期は店の玄関に国旗(旭日旗)を掲げて国民の気持ちを奮起させるような写真があったらしいです。料理も提供し、宴会も賑やかだったそうです。カラオケは、三味線で主に軍歌が歌われていたようです。明治までは、牛肉はあまり食べていなかったようですが、明治時代の文明開化で、西洋的な文化とともに、食文化として牛肉も少しずつ広まっていったようです。創業のきっかけとしては、商売を始めた木下家の粂太郎さんは下級武士でしたが、江戸時代も終わり、刀から包丁に変えて「とり屋の粂太郎」になって商売を始めたと聞いています。

Q

長年にわたり店舗運営を続けていますが、特に大きな変化や転機となった出来事はありましたか?

A

昭和30年代までは、結婚式は自宅で執り行うことが一般的でしたが、いち早く、昭和47年あたり(大阪万博開催)茨木では最初に結婚式もとり粂でできるようになり、茨木のみなさんに、お見合い、顔合わせ、結婚式までできるようになった。大阪万博により、大阪北摂地域がより一層開けて人工も増え街として大きくなっていきました。茨木も開発が進み、近代化に拍車がかかりました。

Q

メディア(TV・雑誌等)にも多く取り上げられていますが、取り上げられる際に心掛けていることや、伝えたいメッセージがあれば教えてください。

A

長い歴史のことをよく聞かれますが、創業当時より変わらないと思うのは 常に新しいものを意識して時代に取り残されるのではなく時代の前を見ながら長い歴も一緒につないでいくこと。美味しいものに妥協しないこと。
いいものだけをお客様に届けること。茨木には安心、信頼して美味しいものが手に入るとり粂があることを自慢していただける会社作りです。

Q

現在の社長が店舗に来られた時の、お店の雰囲気はどのような感じでしたか?
(今とは特に違う部分を教えてください)
また、その時の印象的だった出来事や、特に記憶に残っている思い出等があれば教えてください。

A

今から30年以上前から(結婚前)の店舗は、昭和47年建設の旧店舗でした。精肉販売のとり粂店舗の右横に玄関が小さい割烹の入口がありました。いかにも1階の精肉店が直営している割烹だなというのがすぐに分かりました。昭和レトロな雰囲気の明るい店舗のイメージがありました。威勢の良い職人さんがいて平均年齢は現在とは違って高かったと思います。お肉のことについて相談できる空気は今の方が入りやすい感じはあります。

Q

地元・大阪府茨木市に根ざして経営されていますが、地域との関わりについて、
どのようなエピソードがあるか教えてください。

A

茨木神社の参道でもある阪急本通り商店街にあるので、地元茨木神社の夏祭り(御神輿が5~6基、だんじり祭など、休憩所としてお接待を長年勤めてきた。現在は通行するお客様の妨げになるため休止中。とくに、とり粂コロッケは、お接待の時には必ず子どもたちやお祭り関係者のみなさんに配り長年食べていただきました。
3代目木下武一は商工会議所会頭も務めていました。

とり粂の歴史

1700年

1778年
木下粂太郎 大阪に誕生

武士の家系に生まれる。
後の茨木市に居を移し、鶏や野鳥を使ったとり粂の原型となる食事処を開きました。

1837年
うなぎブーム

江戸では「うなぎブーム」でたくさんのうなぎ屋が増えたそうです。

1838年
初代 木下力松

当時としては珍しい様々な趣向を凝らした料理を提供し、食事処は非常に繁盛したそうです。

1853年
ペリー 浦賀に来航

浦賀奉行所には、パンやステーキが贈られたそうです。

1868年
大阪茨木にとり粂開店

「あそこに行けば美味い鳥が食べられる」と、近隣の住人は「鳥屋の粂」と呼び親しまれました。初代が30歳になる年に、「とり粂」として看板をあげました。

1868年(明治元年)

開国とともに綿花など外国の安い商品が流入し、農村部は貧しい時期が続きました。

新京阪電車(現在の阪急電鉄)が、大阪から京都大宮を繋ぐ路線工事が始まりました。
建設関係者に重宝され連日昼夜満席であったと先代から聞いております。

1894~95年

日清戦争

横浜、東京で牛鍋が流行し始める。初期の牛肉は質が低く獣臭さが目立つため、角切り肉を味噌仕立ての味付けで煮る形だったそうです。

1900年~

1902年

当時流行となりつつあった すき焼きと、本格的な割烹の提供を始めました。

1837年
うなぎブーム

江戸では「うなぎブーム」でたくさんのうなぎ屋が増えたそうです。

1913年
二代目 木下清吉

中の統制経済、配給制度と、非常に厳しい時代でした。日々奔走して独自の取引を行い、出来る限りの商品の提供をして参りました。

1912年(大正元年)

明治天皇崩御、大正天皇践祚。大正と改元。

1914~18年

第一次世界大戦

1923年

関東大震災

1926年(昭和元年)

大正天皇崩御。裕仁親王践祚。昭和と改元。

1939~45年

第二次世界大戦

1940年
三代目 木下武一

戦後の復興、自由経済へと混乱の時代の中、茨木の地を離れずに暖簾を守って参りました。

1953年

テレビ放送開始

在来種の小柄な但馬牛と輸入された牛が掛け合わされ、神戸牛の元となる黒毛和牛が登場しました。

1964年

とり粂の料理処でも、食事をされながら、たくさんのお客様がテレビで競技を観戦されたそうです。

1962年
四代目 木下 淳

スーパーマーケット、コンビニエンスストアが登場し、商いは新しい時代に代わって参りました。安いだけではなく、本当に美味しい・安全な食材をお客様にお届けしたいと、商品に一段とみがきをかけました。

1970年
日本万国博覧会

日本中から職人と観光客が押し寄せ、大阪はたいへんな賑わいでした。

1968年

茨木市阪急駅も、裏手はまだ手付かずの野原が広がっていました。

1973年

東京オリンピック・大阪万博と続き、時代の活力と共に茨木の商店街も急激に発展していきました。

1983年
神戸肉流通推進協議会
発足

生産者が長い年月、努力を重ねてきた神戸ビーフが高い評価を受けつつある中、「あの美味しい神戸の牛肉はどこで買えるのか?」という消費者の皆様の声がきっかけとなり、神戸ビーフのブランドを管理/供給するために協議会が発足しました。

1995年
阪神・淡路大震災

断層の関係で、大阪府内でも茨木は揺れが大きかったため、店舗でも商店街でも大きな被害がありました。

1998年
明石海峡大橋が開通

大橋のおかげで、明石から最高のたまねぎがすぐに入荷するようになりました。

2000年~

2000年
五代目 木下 博

より多くの方々に本物の但馬牛の美味しさを味わっていただくため、ホームページの開設・インターネットによる商品販売計画など、様々に事業を展開を始めました。

2001年
ユニバーサル・スタジオ・ジャパンがオープン

2002年
とり粂 企業サイト
オープン

インターネットを使い、多くの方々に美味しい但馬牛をご提供する窓口を開きました。

2007年
大阪世界陸上開催

2008年
大阪名物くいだおれ閉店

60年間がんばってきた「くいだおれ太郎」お疲れ様でした。

2013年
企業サイトリニューアル
Facebookページスタート

様々な情報を加え、より魅力的なサイトへと生まれ変わりました。